反主流派の生き方
『この世をば』を読了した勢いで、永井路子の『望みしは何ぞ』を再読……。
そう、以前、読んでいたんだよ、この本……。
『望みしは何ぞ』は、道長の息子・能信が主人公の物語。
能信は道長の息子ですが、主流に乗れなかった人物です。
道長の子供たちは母親の系統でふたつに別れます。
鷹司系と言われる倫子を母とする子供たち。
こちらは彰子、頼通が有名で、娘たち4人は帝または東宮に嫁ぎ、息子たちはいずれも摂関位に就いています。
反して、明子を母とした高松系は、鷹司系を支えるような…使い捨てられているようにも見える人生を歩まされるのです。
高松系の能信は、そういうこともあって、教科書どころか、歴史資料でもあまりお目にかかることがない人物なんです。
しかし、能信という人物。
彼は、摂関政治から院政へと流れが変わった、平安時代後半に起こった政治支配者の転換期、これを生み出した陰の人物だったと思われる部分があるのです。
この小説は、能信を歴史を裏で変換させた人物として捉えて描かれた物語なんです。
能信は常に反主流派に身をおかされました。
それは彼自身が望んだものではなく、鷹司系が活躍するための尻ぬぐいとして反主流派に配置されたもの。
そのうち、彼は次第に判官贔屓的に(…エヘヘ、この言葉はまだ存在してない時代だけどね…)自分同様、反主流派に回された人物へ肩入れしていく。
そして、時の運もあったと思いますが、はっと気づけば、能信が切り開いた道へと政治の流れは変わっていったのです。
名を捨てて実を取った人物。
それが私の中での能信像。
人物像としては、コンプレックスを語っている部分が多く、小説の主人公としては与し易い人物ではなかたったのですが……。
でも、ひとつの生き方の指針になってくれる人のように感じました。
きっと、歴史の中には、そういう人物ってたくさんいるんでしょうね。
そういう人と出会えるからこそ、歴史小説を読み続けているんだと、今、感じています。
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