「夕凪の街 桜の国」
こうの史代の「夕凪の街 桜の国」(双葉文庫)を読みました。
こうの史代の作品は、数年前に、“有明”で買ったことがあります。確か、コミケだったと思うんですが……。
その一年後ぐらいでしたか? 書店に「夕凪の街 桜の国」の単行本が並びました。
ああ、あの人だと思いつつも、手に取らずにおりました。
そうこうしているうちに、この作品はいくつかの賞を受賞し、映画化されていきました。
そして、この四月、文庫版という形で発売されたのを見つけ、購入しました。
読み終えて以来、鈍い痛みの様なものが体の中に残り続けています。
収録されている作品は、3作品。
「夕凪の街」は、昭和30年のヒロシマを描いた30Pの物語。
「桜の国」は、1と2のふたつに分かれ、1は昭和62年の東京・中野区、2では平成16年の東京と広島が描かれています。
これらの作品は、「夕凪の街」の主人公の姪が「桜の国」のヒロイン、そういう人間関係になっています。
そして、広島のことをヒロシマと書いた様に、被爆というのが、この話の主題となっています。
今はまだ、読んでから間もないため、私は、「夕凪の街」の被爆したヒロインが語るセリフの重さばかりに気を取られています。
けれど、時間を経るに従い、おそらく、「桜の国」のヒロインが送ってきたメッセージを重く受け止めていくことになるだろう、そんな予感を感じています。
「夕凪の街」は、被爆の恐ろしさに震え、原爆に対して怒る。そういう形で読めてしまうんです。
しかし、「桜の国」では、被爆者差別という問題が横たわっていました。
あくまでも私の主観ですが、「夕凪の街」は被害者に同情して読めてしまうんです。
が、「桜の国」では、自分も加害者のひとりになりうることを示唆されたように感じるのです。
今はまだ、自分の中で、作品がぐるぐると回っている状態です。これは、永久に回り続けるように思います。
けど、不快感はありません。背負っている荷物の重みに気がついただけ、そんな感じがしているからです。
作品の中で、グロテスクに感じるシーンは、極わずかです。必要最小限の描写。それもかなりソフトに描かれています。
ましてや、それは実際に起こった出来事ですから……。目を背けてはいけない。
だけど、何度も読み返したいとは思えない。
きっと、この本を頻繁に読み返すことはないでしょう。
けど、何年かに一度、自分を見つめ直すために、読み返そう、そう考えています。
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